たまたま目についた記事。
ちょっとタイトルが気になったので読んでみた。
カズ・レーザーさんのインタビューにちょっとウンウンと頷いた。
カズ・レーザーさん。
名前だけは聞いたことがあり、金髪でいつも赤い服を着ている人だな、という認識だけはある。
実際にテレビや動画で観たことはないし、何をしている方なのかも知らない。
でも、このインタビューは読んだ。
で、ちょっとウンウンと頷いた。
全面的に頷くわけではないので”ちょっと”ね。
頷いた部分はどこかというと。
どっちでもいいことに体温奪われたくない
ネガティブなニュースを追い続けると、メンタルがいつの間にか引きずられたりすることもある。膨大な情報を浴びながら、なぜこんなにも飄々としたままいられるのだろうか。
「この世で起きたこと全部、どこか遠い世界の話だと思ってるんですよね。身近だって思ったことないんですよ。政治とかも、もちろん勉強はするけど、どっちに転がろうが、たぶん僕は生きていける。1つひとつのニュースに、真正面からぶち当たってないのかもしれないです」
「もちろん、『このニュースひとつで人生が変わる人がいるんだな』って想像はします。けど、すべてを自分ごととしてしゃべるのはよくないと思うんですよ。感情的な意見が先にいっちゃいますから。コメントするときは、個人としての感情をなるべく挟まないようにしてますね。他人事として見てるくらいが、ちょうどいいんじゃないですかね」
「ニュースなんて、見なくても生きていけるじゃないですか。どっちでもいいことに、体温奪われたくないんですよ。どっちでもよくないですか? 自分のことだって、ネットニュースに何を書かれても関係ないって思ってます。こうやって今日お会いしたうえで『カズレーザーすげえ嫌なやつだった』って言われたら『不快にさせて申し訳ないな』と思うけど、しゃべったことない人に『嫌なやつだ』って言われても、記事書かれても、別にどっちでもいいんですよね」
私はカズ・レーザー さんみたいに、膨大な情報を浴びたら飄々としてはいられない。
疲れてしまうので、余計な情報はシャットダウンすることを選んでいる。
”ニュースなんて見なくても生きていける”の方を選んでいるということですね。
大きな出来事だけはトピックのタイトルで見る位。
必要を感じたら中身も読むけど、今はほとんど見ませんね。
「どっちでもいいことに体温奪われたくない」はウンウンと頷いた。
例えば、芸能人の不倫の謝罪会見だとか、ホントにどうでもいいです。
謝罪なんて、当事者と関係者がやっていればいいこと。
自分に直接関係ないのに、本気で怒ったり、怒りや憎しみを感じたりする意味も必要性も感じない。バカバカしくて疲れるだけ。
人を断罪するほど、私は偉いさまでもないですし。
昔はもっと、よく言えば人の気持ちを慮って、腹を立てたり、心配したりしていた気がする。
今は、自分の領域と人の領域を分けるようにこころがけている。
それは見方を変えるとちょっと冷たいようにもみえるだろうけど、自分を保つために必要なことだと思うようになったのだ。
流行は誰かが狙って考えて生まれたもの
「マーケティングはすべて意味と目的があるものってことが、勉強してわかったんですよ。だからこそ、誰かの思惑に縛られたくないと考えるようになったんですよね。はやってるものや人気があるもの、価値があるとされてるものって、全部誰かが狙って考えたうえで生まれたものでしょう? それに対してハマったり、好きとか言うの、振り回されてるみたいでなんか嫌じゃないですか?」
他人に操られず、つねに自分軸でいるために、一切気にしないというわけだ。
「マーケティングを仕掛けた人は『これマジ儲かると思って仕掛けました』とは言わないじゃないですか。それ言うといやらしくなって、儲からなくなるから。だから、美辞麗句をすごい掲げる。そんなもんに時間取られるの、めんどうくさいじゃないですか」
ファッショントレンド、ヘアスタイルのトレンド、今年はコレが流行る!とか、しかけられているモノだと私も思っている。
テレビや雑誌やネット記事で特集を組んだりね。
極端に信じると、それを持っていないとお洒落じゃないという強迫観念みたいなモノまでうえつけられちゃう。
自分が穏やかで心地良く暮らすために、必要なモノと必要じゃないモノ、選びとっていきたいとあらためて思った。
よろしければ、こちらもどうぞ。
*参考になります。トラコミュ。*
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