映画、「365日のシンプルライフ」の感想などなどです。
もう既にご覧になった方も多いかと思います。
365日のシンプルライフのあらすじ
ヘルシンキ在住・26歳のペトリは、彼女にフラれたことをきっかけに、モノで溢れ返った自分の部屋にウンザリする。
ここには自分の幸せがないと感じたペトリは、
自分の持ちモノ全てをリセットする”実験”を決意する。
ルールは4つ。
この映画はフィンランドの映画で、監督、脚本、主演を務めたペトリ氏の壮大な実験のドキュメンタリーです。
必要なモノを選びとりながら、ペトリは「幸せとは何か」、「モノについて」考えていきます。
365日のシンプルライフを観て私が思ったこと、感じたこと
ペトリがたくさんのモノを所有していた「理由」が興味深かった
ペトリがモノに溢れた部屋にうんざりしたきっかけが、何故「彼女に振られたこと」だったのか。
彼は、女性にモテるには”何でも持っている、何でもできる男でなければならない”と思っていたようです。
もちろん純粋に自分が欲しいと思って買ったモノもあるでしょうけれど、
「女性の前でカッコ良い男性でいたい」
という、実は誰でも多かれ少なかれ持っていそうな感情の為にたくさんのモノを所有していたのですね。
だから彼女に振られてしまった時、モノに溢れた部屋を見て「何でも持っている、何でもできる男を表現してきたのに、結局振られてしまったじゃないか!」と嫌になってしまったのでしょう。
彼女の前では等身大の自分ではなかった。疲れてしまうのも納得です。
コート1つで何もない床に寝る場面に解放感を感じた
ペトリがコート1枚で広い床に寝ている場面に、解放感のようなものを感じました。実際はとても寒かったのでしょうけれど。
自分もまだまだ、所有しているモノが多いと感じているのかもしれない。
解放感を求めているのかもしれない。
ペトリの周りの人の温かさ
ペトリのこの壮大な実験は、温かい人たちに囲まれていたから続けることができたとも言えます。
大好きな優しいおばあちゃん、食糧を持ってきてくれる弟、心配しながらも実験を見守る母親、なんだかんだいって協力してくれる友達。
この温かい人たちがいなかったら、出来ないことはもっとたくさんあっただろうし、何より孤独で辛かっただろうと思います。
ペトリは周りの人に、とても恵まれていました。
365日のシンプルライフを観終わって
ペトリがモノを真剣に選び取ることに意味があると思った
観始める前は、ペトリが一体毎日何から順番に必要だと思って選び取るんだろうと”ペトリが何を選ぶのか”が楽しみでした。
でも実際に観始めたら、何を選ぶのかは私には重要ではなく、何が必要か、何を選ぼうかと真剣にモノと向き合う姿自体の方が印象に残りました。
モノは人を豊かな気持ちにも息苦しくもさせる
モノは生活に必要なモノと、あったら便利なモノ、自分を表現してくれるモノがあります。
人が生きていく為に必要なモノは必ずあり、あったら便利なモノは上手く取り入れれば生活を楽にしてくれ、自分を表現してくれるものは心を豊かにしてくれる。
でも、モノは持ちすぎてしまうと管理する手間にイライラしたり、モノの為に費やす時間が多くなって余計に忙しくなってしまったり、もっと良いモノを持って人によくみられたいと自分らしさを見失ったりと、息苦しくなってしまいます。
自分にとって必要なモノは何か、どの位のモノの量がちょうど良くて心地良いのかを考えながら、上手にモノと付き合っていきたい。
そんな風に思う映画でした。
ペトリは、モノを一旦全部倉庫に預けることで、必要なモノは本当は多くないことを知りました。
「自分を幸せにする、
人生で大切なモノは何か?」
その答えをペトリは掴んだでしょうか?
きっとうっすら掴みかけているかもしれませんが、まだはっきりとは答えはでていないのではないかと思います。
ペトリの人生は、まだまだ変化して続いていきます。
彼はどんな答えを掴むのでしょう。
実験のドキュメンタリーなので、ストーリーが面白い映画ではないですが、モノについて考える良い機会になる映画だと思います。
まだご覧になっていなくて、興味のある方は是非どうぞ。
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