「そろそろ手放そう」と思いつつ、迷いが残っていた「かなり」思い出のモノを手放しました。
その「かなり」思い出のモノとは。
「かなり」思い出のモノを断捨離しました。
今まで残していた思い出のモノ2つ
今回手放したモノは「かなり」思い出のモノ2つです。
卒業アルバムもためらいなく手放した私が、今まで残していたモノ。
ひとつは自分のモノ、
ひとつは亡き母のモノです。
お気に入りだったパンダのオルゴール
どうですか、このレトロ感。
それもそのはず、45年前のモノなんです。
私が赤ちゃんの頃に買ってもらったオルゴールです。
下についている小さなボールの紐を引っ張ると、「ななつの子」のメロディが流れます。
私がぐずった時や眠る前、このオルゴールがいつも傍にありました。
パンダの形、オルゴールの音色共にお気に入りで、子ども心に落ち着いた記憶があります。
いつしか見なくなり失くなったのだと思っていましたが。
母の他界後、母が私の保育所時代のノートや何やらをまとめた「私の思い出箱」の中に入れてくれているのをみつけました。
思い出箱の中のモノは、これとへその緒、育児記録以外は手放し済みです。
一度目を通して、感謝の気持ちと共に手放しました。
何十年ぶりに手にとったこのオルゴール。
紐を引っ張ると、ぎこちない音のオルゴールが流れました。
それを聴いたら、「やっぱりもう少しとっておこうか」と一瞬決心が揺らぎましたが、ちょっとココロを鬼にして手放しました。
持ち続けて、またこのオルゴールを鳴らしてノスタルジーに浸ることはしたくないと思ったからです。
「今必要なモノ」があればいい。
それにきっと、記憶の中にこれからもこのオルゴールはちゃんとあるでしょうから。
母の腕時計
この腕時計は母のモノです。
母が晩年愛用しており、息を引き取ったその時まで身に付けていた時計。
「遺品」ですね。
彼女の他界後、残した数少ないモノのひとつです。
何しろ本当にいつも身に付けていたので、捨てきれなかったんです。
最期の時まで彼女の腕にあった時計。
あれから15年経とうとしています。
母から譲り受けた指輪が2つあるので、形見はそれだけで十分かなと。
手放そうと思えました。
最後に
何故そんなに手放そうとするのか?
何でもかんでもモノを減らしたいのか?
答えはNOです。
そういうわけではないのです。
「思い出」は大切なモノ。
でも、時には前だけを向いた方が良い時もあって、ノスタルジーに浸ることがマイナスになることもある。
それにやっぱり、「思い出は心の中にちゃんとある」んですよね。
わざわざどっぷり浸らなくても。
そして私は、独身でひとり暮らし。
自分で手に負えるモノだけで生活したい。
だから、「今必要なモノ」だけで暮らしたいのです。
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