読書。石田ゆり子さんの「天然日和2 旅と小鳥と金木犀」。
このところ、石田ゆり子さんの、昔の(というほど昔ではないか)本を読んでいる。
今回読んだのは、
天然日和2 旅と小鳥と金木犀。
天然日和の続編のようなものかな。
前作同様、日記形式で書かれている。
今回も、印象に残った部分をメモ。
いくつもあるのだけれど、しぼってみる。
33歳は、もっと大人だと思っていたけれど...。
わかるのは、いつも、いくつになっても多分そう思うであろうということと、数字としての年齢はもう、あまり意味がないということ。
大事なのは、心のあり方で、年齢に左右されることは何ひとつないということだ。
P22より
私自身も、まだ大人じゃない頃、大人ってのは「大人」なんだと思っていた。
何と表現したら良いのかな、完全体に近いというのか...。
子どもの頃、自分にとっての父親は、欠点は色々あれど何でも知っていて、何でもできる存在だと思っていた。
でも、自分が大人になるとわかる。
「大人」は決して完璧じゃない。
何でも知っていて、何でもできる存在ではなく、ただ、ひとりの普通の人間だ。
アラフィフになった今も、自分はおとなげないところがたくさんある。
でもそれも良いんじゃないかと。
男性が、いつまでたっても少年の部分を持っているように、女性も、いつまでたっても少女のような部分をもっているのも良いじゃないか。
そんな風に思う。
もうひとつ。
これは、石田ゆり子さんが「大人になると純粋になると思う」と考えることについての理由だ。
よく子どものほうが心が美しいとか、大人になるにしたがって心が汚れていくとか、いうけれど...。
もちろんそれも一理ある。
だけど、子どもはまっすぐなぶん、残酷でもあるとも思う。
大人は...、私が憧れる本当の「大人」は、優しい。ほんとの意味で優しい。
イメージで言うと...。
最初は周りにいろんなものがくっついている状態のダイアモンドの原石が、どんどんそぎ落とされて磨かれて、最終的には本物のダイヤモンドになる...という感じかな。
P209より
なるほどなぁ。「上手に年を重ねる」ことは、こういうことなのかもしれないなと思わせられた。
好きなモノ、必要なモノ、大切なモノ、心地良いもの、そういうのを若い頃から暗中模索して、自分に必要ないモノをそぎ落とし、必要なモノを選び取っていく。
そんな大人はやっぱり素敵だろう。
今まで読んだ3冊の本を通して、石田ゆり子さんが繰り返し言うのが、「健やかでありたい」。ココロも、体も。
石田ゆり子 Instagramより
「健やか」という言葉は、自分の中では忘れかけていて、子どもの頃とか、子どもに対して使うことが多いイメージだった。
大人になると「健やか」より、「健康」と表現したり考える。
でもこの「健やか」という言葉のニュアンス、素敵だ。
この単語ひとつで、ココロも体もひっくるめて、って感じがするものね。
あぁ、私も健やかでありたい。
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