読書。石田ゆり子さんの「天然日和」。
「C'est Joli(セ・ジョリ)ここちいい毎日」 に続き、石田ゆり子さんの「天然日和」を読んだ。
「天然日和」は、2006年出版で、石田ゆり子さんが32才の時。
WEBマガジン幻冬舎での連載に、書きおろしエッセイが加わった本である。
エッセイというか、日記のような感じ。
32才の石田ゆり子さんが、どんなことを感じ、思っていたのか。とても興味深く読めた。
私自身は現在48才、アラフィフなので、「天然日和」から”年齢を重ねる”ことと、”おばさん”についての部分をピックアップしてみる。
私は、年をとるって素敵なことだと思う。
人生が顔に出るということは、自分の顔を本当の意味で自分で作っていけるということだから...。
P13より
なるほど。
”自分の顔を本当の意味で自分で作っていける”か。
そういう考え方もできるわね!と目から鱗。
次は辛口。
案内された席のすぐ隣に、うるさいおばさんのいるグループがいた。
私はいつも思うのだが、おばさんってどうしてうるさいのだろう?
あんなに大きな声ださなくても...。
というよりも、きっと、女の人が成長しきった行く末には、「おばさま」と「おばさん」があるのだと思う。
うるさくて、言葉の選び方も何だが品がなく、人の話を聞かないのが、おばさんなんだと思う。
P24より
おばちゃんはどうしておばちゃんなのだろう。
女ではなく、おばちゃんという人種があると、思わずにはいられない。
P37より
これね、キツい表現にみえるかもだけど、的を得ていると思う。
自分も気をつけたいわ。
ちなみに、2つ目の「おばちゃんという人種があると思わずにはいられない」の方は、ゆり子さんの垢すり体験が書かれていて、こちらは「おばちゃんはたくましい、強い」というニュアンスの内容につながる。
全て悪い意味ではない。
日本の社会は、どうしても、若い人たちに有利にできているように思う。
それもまだ、子どものような10代、20代。
自分が30を超えてやっと気がついたのだが、人間が年を重ねて発する光こそが、本物だ。
若さの持つ、神様が与えてくれた天然の光ももちろん素晴らしい。
でも、その人が歩んできた時間が育む、オリジナルな輝きは、はは~っとひれ伏すばかりの地合いに満ちている。
P48より
”その人が歩んできた時間が育む、オリジナルな輝き”。
年齢を重ねることも悪くないってことを、上手に表現するなぁ。
アラフィフになった今の石田ゆり子さんを見ていると、説得力がある。
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出典元:http://illuminaters.com/archives/1510
石田ゆり子さん。
癒し系のほんわりしたイメージが強いかもしれないけれど、好き嫌いがはっきりとしていて、自分の考えもしっかりと持っている。
そんなにふわふわした方ではないと思う。良い意味で。
奇跡のアラフィフと騒がれても、多分ご本人は地に足がしっかりついているだろう。
今回は偏ったピックアップをしたけれど、本全体を通して読むと実に様々なことが書いてある。
すごく正直で率直で、共感したり、気付かされることも多かった。
新しい本ではないけれど、今読んでも十分な内容。
むしろ、”あぁ、32才の頃こんな風に考えていて今のゆり子さんになったんだな”という見方もできる。
天然日和2 旅と小鳥と金木犀も読んでみたくなった。
よろしければ、こちらもどうぞ。
*参考になります。トラコミュ。*
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