我慢や忍耐を美化しすぎない方が良い。
今は昔ほどではないのかもしれないが、日本では、とかく「我慢」や「忍耐」を美徳とする傾向がある。
20代の頃、父によくこんな話を聞かされたものだ。
「今日会ったばあちゃんはな、ずっと●●で働いとったらしい。
いじめられて、毎日毎日泣いとったんだと。
それでも耐えて定年まで勤め上げたから、今は良いわ。
毎日泣いて暮らしても、何十年も我慢して定年まで勤めて偉いわ。」
そのおばあちゃんの生き方を否定する気はないけれど、何がそこまで「偉い」のかさっぱりわかない。
見事定年まで勤め上げ、ちょっと楽になったとしよう。
で、仮に80年生きたとする。
そのうちの40年近くを、毎日泣いて暮らすんですよ?
それ、偉いんですか。
80年生きる保証もないし、定年からようやくHAPPYな生活のスタートですか?
おばあちゃんになってからできることって、若い頃より絶対少ないですやん。
と、当時も父親に反論した覚えがある。
「我慢」や「忍耐」がまったくないのも何だが、「我慢」「忍耐」を美化しすぎない方が良い。
我慢強い、忍耐強い人をやりすぎると、ある時パンと壊れることがある。
時には、逃げたって良いんですよ。
むしろ、逃げた方が良い時だってあるんです。
そんな時に「我慢が足りん」、「忍耐が足りん」と連呼して責めてくる人は、話が通じない宇宙人だと思うことにしましょう。
私は、我慢も忍耐も捨てることにしています。もとい、捨てる練習をしています。
今年の目標も、ゆるく生きる。
自分ファーストで生きる、なので。
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